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こんにちは! ジュエリー&きもの < サロン・ド 裕理 > の店長 児島です。

今回から数回にわたって、最近のアンティーク着物ブームや「カーネーション(NHK 朝の連続ドラマ)」で
ヒロインの糸子(ファッションデザイナーのコシノ三姉妹の母親がモデル)が着用していたことでも人気の
伊勢崎銘仙について書いていきたいと思います。

meisen_carnation.jpg
カーネションで着用されたコシノジュンコの銘仙。サロン・ド 裕理もお世話になっている木島織物さんの製作です。

先日銘仙ファッションショーの特集記事でも書きましたが
伊勢崎銘仙はかつて日本で一番多くの人に着用されていた普段着の着物です。
着物の良さや、銘仙の質の高さや柄の豊富さからその良さが見直されてきている今、
その歴史や種類、工程、銘仙の今について書いていきたいと思います。


「銘仙織り出す伊勢崎市」と、上毛カルタで読まれる伊勢崎市の札は、
かつてここが織物の盛んな街だったことを教えてくれます。
「銘仙」とは平織り(経糸と緯糸が一本ずつ交互に組み合わされるもの)で織られた絹織物のことで、
明治時代にその名がつけられました(由来は次回の記事で)。
伊勢崎のほか足利、桐生、秩父、八王子など関東地方で盛んに生産されました。

karuta.jpg

値段が安くて丈夫で、カラフルな色柄が豊富だったため大人気となりました。
今でいうファスト・ファッション(最近の流行を取り入れながら低価格に抑えた衣料品を短いサイクルで
大量生産・販売する)のようなものです。
特に伊勢崎銘仙は大正の終わりから昭和の初めにかけて流行の最先端を行く着物となり、
時代のファッションリーダーがこぞって愛用し、銀座の街を歩いていたということです。


明治館で展示されている銘仙の様々な銘仙

全国にその名をとどろかせた伊勢崎銘仙を支えてきたのは、伊勢崎の様々な技術者でした。
大量に生産された銘仙のほとんどは手織りによるものでした。
伊勢崎では、他の産地のように大きな工場の中で力織機を使って大量生産するのではなく、
織物に関する各工程を分業し、元機屋がとりまとめていました。
そのため技術者のうち一人でも手を抜くと織物の価値が下がってしまうので、お互いが精一杯の力を出して協力し合いました。
また織物業者がまとまってつくられた組合では、技術向上のための研究を怠らず、
開発した技術はみんなで共有して伊勢崎織物全体の品質を守りながら、発展していくように努めました。


サロン・ド 裕理の先々代の児島佐吉も設立時に携わったいせさき織物組合の建物

多くの技術者の手によって作り出されてきた伊勢崎織物は、今では国から指定を受けた伝統工芸品として息づいています。
今回から数回に分けて、伊勢崎織物がどのような歴史をたどり、今まで続いてきているのか。
また生糸から一枚の織物になっていく工程や、伊勢崎織物の種類を解説します。
伊勢崎に生きた人々が守り伝えてきた技と心意気をご紹介していきたいと思います。

次回は伊勢崎銘仙の歴史について書きたいと思います。 


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