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こんにちは! ジュエリー&きもの < サロン・ド 裕理 > の店長 児島です。

伊勢崎銘仙についての2回目の記事になる今回は、伊勢崎銘仙の歴史について書いてみたいと思います。


江戸時代以前 ―織物のはじまリ―

植物質の材料を使って衣服や敷物を作ることは、縄文時代には始っていました。
縄文土器の底には、網代痕という編物のあとが見られます。
また編布という、編んで作られた布が出土することがあります。
弥生時代になると、布を織る道具「織機」の部品が木製品の中に見られます。
まだこの時代の織機は原始機で、いざり機や高機のように機台を持たないものだったようです。
糸を紡ぐ紡錘車という円錐形の土製品も出土します。
伊勢崎市内では西太田遺跡(太田町)の弥生時代後期の住居から土製の紡錘車が一点出土しています。

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国指定重要文化財の埴輪や江戸時代の人形、伊勢崎銘仙なども数多く所蔵されている相川考古館

伊勢崎市内で一番古い布としては相川考古館(三光町)にある六世紀頃(約一四〇〇年前)の布があります。
これは境渕名の古墳から出土したもので、椿という木の皮を原料として編んだもので、染色はされていませんでした。
さらに、奈良市東大寺の正倉院(寺院の倉庫)には、七四九年に佐位郡(当時の伊勢崎市の広瀬川から東側の地名)の
檜前部黒麻呂が税として納めた布が保存されています。この布は、「からむし」といわれる麻の繊維で織られたもので、
草木の葉や花をすり込んで染色したものと考えられます。
また奈良・平安時代の住居跡からは滑石製の紡錘車が多く出土します。おそらく当時の人々は、
農業がひまな時期になると材料の糸を紡ぎ、自分達の着る衣服の布や税金として納める布を織っていたのでしょう。

伊勢崎市東上之宮町の倭文神社は機織、農耕、養蚕の神を祭神とした神社です延喜式』(九二七年)の
神名帳には上野国十二社(式内社)に記載されています。
倭文は、「しず織り」から付けられたと考えられます。毎年一月十四日には、五穀豊穣を祈願する「田遊び」が催されます。
養蚕が盛んな頃は、神事に使われた竹を集まった人々が奪い合い、
「その笹竹でお蚕をつかむ箸を作ると繭が当たる」と言われ、大変な賑わいだったそうです。

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江戸時代

元亀元年(一五七〇)、伊勢崎町に六斎市が立ち、新町や西町でも市が開かれるようになりました。
市が始まった頃は日用雑貨や農具を売る雑市でしたが、十八世紀に入ると、絹・麻・煙草などの現金収入を目的とした
作物生産が盛んになり、これらの集荷市場となっていきました。

『伊勢崎風土記』(一七九八年)には、十八世紀半ば頃の六斎市では地域特産物として
絹・糸・木綿が伊勢崎藩領内の村で産出すると記されています。
経済学者佐藤信淵が著した『経済要録』(一八二七年)によると、
元文元年(一七三六)に大坂に集められた絹織物の産地の中に伊勢崎の名が見られます。
「伊勢崎太織」が特産品として全国に知られるようになったのは、十八世紀初めのことなのです。

伊勢崎太織は、太い絹糸(玉繭やくず繭からとった太くて丈夫な原料糸)を使って、農家の女性たちが「いざり機」を
使って織っていました。織物に使用する糸は草木染めなどの渋い色で染色され好評でした。
模様は主に縞柄で、「伊勢崎縞」とも呼ばれました。丈夫で値段も安い太織は人気がありました。



織物の取引が盛んになると、今までのように一軒一軒の農家だけで作るのでは対応しきれなくなりました。
そこで原料糸を自分のお金で購入し、紺屋(染物屋)に染色を頼んだり或いは自分で染色して、
糸を農家に渡して布を織ってもらい、織り賃を支払う織物業者が現れました。
この織物業者を「元機屋」といい、文政年間(一八一八~三十年)の頃に現れたようです。
糸を農家に渡して織り賃を払い、できた製品を集めて売るような生産の方法を「賃機」といいます。
元機屋の数は、弘化四年(一八四七)の記録では伊勢崎藩内に六十七名いたとされています。


明治時代 ―銘仙の基礎ができる時代―

明治に入ると、伊勢崎の織物はいっそう発展し、原料糸に改良が加えられ、太 さのそろったなめらかな糸になりました。
また織り目も細かくなり、多彩な縞模様が作られるようになりました。しだいに経糸と緯糸の組合せを工夫して、
いろいろな模様が作られるようになりました。
経緯両方の模様を合わせるときに、きっちりと合わずかすれたような模様になることから「絣」とよばれました。

大柄の絣模様を作るときには「すりこみ捺染」や「しばり」で糸を染めますが、明治二十~三十年頃には、
奈良県から伝わった「板締」という技法も使われるようになりました。
織物の名称は、明治の中頃に「太織」から「銘仙」に変わりました。

「銘仙」という名の起こりにはいくつかの説があります。
織った目が非常に細かいので「目千」「目専」と呼ばれたからとか、
明治二十年(一八八七)東京にこの織物の店を出した店の名前が「めいせんや」だったからなどがありますが、
はっきりしたことは分かりません。

しかし、伊勢崎織物の評判が全国に広がっていくと、「伊勢崎銘仙」の名が定着していきました。
明治十三年(一八八〇)には織物業者が集まって、質の悪い織物の製造を防ぐために伊勢崎人織会社をつくりました。
会社は名称を変えながら川石の伊勢崎織物協同組合まで続いています。
織物の産地として品質を保ちつつ、織物技術の研究を怠らず、開発された技術を組合員全員で共有するという、
太織会社の伝統を受け継ぎ、銘仙の名を全国に広めました。

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織機も、はじめのうちは江戸時代から続いていたいざり機が使われていましたが、明治二十年(一八八七)に境町の
森村熊蔵が高機を、初めて京都から伊勢崎に伝え、改良を重ねた結果、多くの人々が利用するようになりました。
染色も、草木染めだけではなく化学染料を使うようになりました。
明治四十五年(一九一二)に殖蓮村の下城弥一郎が力織機(動力式の織機)を二十台買い入れて工場経営を始めました。
これ以後、力織機が普及し、生産量も増えました。力織機の数が最も多かったのは、
大正時代の終わりから昭和時代の初めにかけてです。


大正から昭和初期 ―伊勢崎銘仙の黄金期―

銘仙は丈夫で安く、色や柄のバリエーションが豊富だったことから、ふだん着として流行しました。
そのため明治中頃から大正にかけて、銘仙の産地では急速に生産量を増やしました。
銘仙の産地は伊勢崎のほか、足利、秩父、桐生、八王子などでした。
伊勢崎以外の産地では力織機による機械生産を主力としましたが、
伊勢崎銘仙は複雑な模様と手織りの風合いを特徴としていたため、手織りによる生産が続けられました。

大正十三年から昭和六年(一九二四~一九三一)を伊勢崎銘仙の第一次黄金期、
昭和八年から昭和十一年(一九三三~一九三六)を第二次黄金期と言い、この時期には全国銘仙生産量の半分が
伊勢崎銘仙になりました。昭和五年(一九三〇)には銘仙生産高が四五六万反を記録しました。


むかしの織物協同組合の販促ポスター

第二次世界大戦が昭和十六年(一九四一)に始まると、原料を外国に依存する繊維は全て厳しい統制を受けることに
なりました。国内の原料に依存する絹織物はこのおかげで逆に売り上げを伸ばすことになりました。
しかし戦争が激しくなると、原料不足や織物工場が軍需工場となり衰退しました。


戦争後から現在

昭和二十年(一九四五)に戦争が終わり、その後の昭和二十年代は戦後の工業復興期にあたり、
工業全体の四十%を紡績が占めました。
昭和三十一年(一九五六)には伊勢崎銘仙の第三次黄金時代を迎え、売り上げが伸びましたが、生活様式の変化から
着物が売れなくなり始めました。それにともなって、伊勢崎の織物生産量は減少し、生産者も少なくなりました。

そこで織物組合が中心となって、新しい技術を開発したり、後継者の養成をするようになりました。
伊勢崎織物の生産量は少なくなっていますが、その技術力の高さは評価され、国や県から指定を受けています。
昭和五十年(一九七五)には伝統的工芸品「伊勢崎絣」として国から指定を受けました。
この時には「締括絣」「板締絣」「併用絣」「緯総絣」の四種類が指定されました。

昭和六十年(一九八五)には茨城県つくば市で行われた「科学万国博覧会」で、日本の織物を代表して実演が行われました。
平成六年(一九九四)には群馬県から「ふるさと伝統工芸品」に指定されました。
現在では、結婚式や成人式などの特別なとき以外は、めったに和服を着ることはありません。
伊勢崎織物は、ふだん着として作られてきたため、戦後の洋服の普及によって、生産量が激減してしまいました。
また、後継者不足といった問題も抱えています。
しかし、伊勢崎織物の伝統を守るために織物組合をはじめとして現代の生活にあった新しい取り組みもされています。

伊勢崎の織物は、蚕の飼育から機織りまで、特に女性が支えてきました。
昔は、「機の織れない娘は、嫁のもらい手がない」とか「娘三人もてば倉が立つ」と言われたくらいです。
女性の働きで家計を支えていたため「かかあ天下」という言葉が生まれました。
伊勢崎織物の歴史をみてくると、織物に携わった人々の伝続を守り、産地としての誇りを忘れなかった姿勢がわかります。


次回は伊勢崎銘仙の作り方・工程について書きたいと思います。 


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